更新日:2025年8月28日
島地と湯野とは、わずか10kmの距離である。
長州藩内で、血で血を洗う激しい権力闘争が始まる元治元年(1864年)の10月27日、 追っ手から逃れて高杉晋作は雨降りしきる闇夜、正慶院の山縣有朋を訪ねる。「武力蜂 起を!」。しかし山縣は動かなかった…。
失意の中、高杉晋作は筑前(福岡)行きを論じて 富海へと姿をくらましていく。
その時山縣有朋は、奇兵隊士の一人”伊藤伝之助”を高杉 晋作に付けてやったと自伝「懐旧記事」に記す。
湯野と隔ててわずかに10kmの島地は、湯野や戸田の生活圏内にある。
毛利家寄組筆 頭(トップ)の堅田氏が、ここ湯野・戸田の領主であったこと。石高6千石の小大名にも匹 敵する毛利家の名門であったこと。幕末には、学問を重んじた堅田氏が家老以下26名の 若者を吉田松陰の「松下村塾」で学ばせたことなどは、ほとんど語られることはない。
郷土史家の山田文雄氏に、堅田氏と徳地に係るこの謎を語ってもらいましょう。
湯野・戸田の領主 堅田氏と徳地(PDF:380KB)
長州藩内で、血で血を洗う激しい権力闘争が始まる元治元年(1864年)の10月27日、 追っ手から逃れて高杉晋作は雨降りしきる闇夜、正慶院の山縣有朋を訪ねる。「武力蜂 起を!」。しかし山縣は動かなかった…。
失意の中、高杉晋作は筑前(福岡)行きを論じて 富海へと姿をくらましていく。
その時山縣有朋は、奇兵隊士の一人”伊藤伝之助”を高杉 晋作に付けてやったと自伝「懐旧記事」に記す。
湯野と隔ててわずかに10kmの島地は、湯野や戸田の生活圏内にある。
毛利家寄組筆 頭(トップ)の堅田氏が、ここ湯野・戸田の領主であったこと。石高6千石の小大名にも匹 敵する毛利家の名門であったこと。幕末には、学問を重んじた堅田氏が家老以下26名の 若者を吉田松陰の「松下村塾」で学ばせたことなどは、ほとんど語られることはない。
郷土史家の山田文雄氏に、堅田氏と徳地に係るこの謎を語ってもらいましょう。
日 時 | 11月27日(日曜日) 10時00分から12時00分 |
場 所 | 徳地図書館 視聴覚室 |
講 師 | 山田文雄氏(徳地史談会会長) |
参加費 | 無料 |
問合せ | 山口市立徳地図書館 TEL:0835-52-0043 |
湯野・戸田の領主 堅田氏と徳地(PDF:380KB)